(the below is in Japanese version)
「座忘論」による神秘的合一とはこうだそうです。
「完全な力をもつ道は、身体(形)と精神(神)を変える。身体は道に貫通されて、精神と一つになる。身体と精神が合体して一つになった人は神人と呼ばれる。そのとき、精神の本性は空虚で昇華しており、その実質は変形によって破壊されることがない(不死)。身体は精神に全く等しいから、もはや生も死もない。水の中、火の中を歩いても、害を受けることがない。太陽に向かって立っても、身体は影を作らない。生き続けるか、死ぬかは、その人自身の選択であり、生死による意識の中断がない。泥に他ならぬ身体も「すばらしい空虚」の境地に達している。況や、超越的認識が深さにおいても拡がりにおいても、無限となることは言うまでもない。」
つまり、この状態では人は万物の究極的実在ともいえるタオと一致しているので、西田哲学風にいえば絶対矛盾の自己同一(つまり主客一致)の状態と言えますが、禅による右、心身脱落の境地と同じだといわれると少し困ります。
なぜかというと少しでも神秘的合一の香りの一部にでもエネルギーワークの体験として触れた人は同意してくれるのではないかと思いますが、合一状態は空・無でもありながら、実はもっと生命やエネルギーや至福に満ちたもので無限無止でもあり、それを空の境地だと悟ったように評されても違うのではないかと思います。
ヨガ、仏教、テオゾフィー等なんでもいいんですが、ある用語ですべてを説明してしまうのは、実際の身体による体験を陳腐なものにすり替えてしまうので注意が必要でしょう、実に勿体ない。
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